「本能寺の変」後、豊臣秀吉が驚異的なスピードで行軍したという“中国大返し”ができた理由 (2/2ページ)

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それは、行軍に必要不可欠な食糧・武器を、道中で調達できるようにしたからでした。

秀吉はまず先発隊を賤ケ岳に向けて出発させて、その道中の村々に協力を要請しました。つまり、恩賞と引き換えに食糧・武器を準備させたのです。そして、本隊の方はほとんど荷物を持たずに出発。道中の村々で、村人たちから握り飯やたいまつなどの必要なものをもらい、休まずに行軍。

その結果、驚異的なスピードで敵陣の元へと向かったのでした。かつて鬼柴田といわれるほどの強さを誇った柴田軍。まともに戦うには、敵の意表を突くしか勝ち目はなかったのではないのでしょうか。

参考

小和田哲夫 『賤ヶ岳の戦い「兵站線の確保と機動力」』 歴史群像デジタルアーカイブス

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