黒柳徹子「テレビとともに生きる伝説の人」の基礎知識

日刊大衆

黒柳徹子
黒柳徹子

徹子の部屋』(テレビ朝日系)がこの2月で放送開始45周年を迎えた。その司会者・黒柳徹子(87)は、同番組開始よりもさらに20年以上前、日本のテレビの創成期からテレビに出演し続けている。テレビ界のいわば生きる伝説とも言える、黒柳徹子のすべてに迫った。

■徹子は乃木坂生まれ

 地名が本誌誌面を飾ることが頻繁にある街・乃木坂の出身だ。その家族は芸術家揃いで、父親の黒柳守綱と弟の紀明はヴァイオリン奏者、妹の眞理はバレリーナ。母親の黒柳朝は80年代に随筆家として活動した。

■NHK専属女優だった

 現在のような芸能プロダクションのシステムが構築される以前の50年代は映画の黄金期で、俳優は各映画会社と専属契約を結んでいるか、劇団に所属しているケースがほとんどだった。そこで、テレビ放送を始めるにあたりNHKは自前の俳優を育成する必要があった。NHKにはもともとラジオドラマに出演する俳優(声優)が所属する「NHK放送劇団」という組織があったが、そこでテレビに出演する俳優が募集された。6000人もの応募があり、合格者は13名、そこに徹子がいた。専属だったので、しばらくは民放の番組に出演することはなく、NHKの様々な番組に関わっていたのである。

■司会業は20代から

 演じることが本業ながら、トークのスキルは20代の頃から評価されており、初めて『紅白歌合戦』司会を担当したのは58年。いまから62年前である。61年より子供番組『魔法のじゅうたん』を経て、65年よりNHKの看板バラエティ番組『夢であいましょう』の司会を担当。司会での民放初進出は66年、NET(現・テレビ朝日)の『まんが海賊クイズ』という番組だった。

■社会貢献活動が盛ん

 アジア人として初のユニセフの親善大使になり、募金活動を行なったり、食糧難や内戦のある国を訪問するなど社会貢献活動に積極的な姿勢を見せる。

(EX大衆2021年3月号「黒柳徹子のすべて」伝説の人)文●ミゾロギ・ダイスケ

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