日本仏教最大の革命児の法然 法然の以前以後で大きく異なる日本仏教 (3/4ページ)

心に残る家族葬

京都・大原の勝林院で叡山の学僧たちと交わした論争、いわゆる「大原問答」でも法然は尋常ならざる知識量と分析力を披露し、従来の仏教の素晴らしさを認めた上で、称名念仏の優位を立証し勝利している。法然はただの熱い人物ではない。豊かな学識に基づいたディベート力を持ち合わせていた。法然のような高度な学識者が、社会の底辺に生きる民衆への慈悲と熱意を持つことができたことは稀有な出来事であった。


■「ケガレ」の浄化

法然の革命は従来の貴族仏教に対してだけではない。日本に溢れる「ケガレ」に対してもその矢は放たれた。法然が開いた念仏宗には尼僧の信者もいた。「愚管抄」には「愚痴無知の尼入道」などと表現されている。女人は月の障りなどから穢れた存在であり、往生はできないとされていた。しかし念仏はどんな人間でも極楽往生させる。仮に女人が本当に穢れた存在であったとしても、念仏の功徳の前には全く関係ない。法然にまつわる有名な伝説に、遊女の救済がある。女性信者の中に後鳥羽上皇(1180〜1239)の女房たちがおり、法然門下の僧侶との噂が立った。これが法然の讃岐流罪へと繋がっていくのだが(承元の法難)、配流先の讃岐で遊女が法然を訪ねてきた。遊女は「私のような汚れた女でも往生できるか」と問い、法然は「もちろんできる。阿弥陀さまは罪深い人間を救うとめに念仏を説かれたのだ」と答えた。遊女は感動で涙を抑えることができなかったという。遊女の現実の生活はその先も変わらなかったに違いない。しかし念仏によって極楽往生を確信できた遊女の心は救われたはずである。

法然に始まる鎌倉新仏教の流れを継ぐ僧たちは、その後も女人救済や究極の穢れである「死穢」、つまり死体の救済へと向かっていく。いわゆる「葬式仏教」の誕生とされるが、現代の「葬式仏教」とは全く異なる、「ケガレ」を浄化する仏教本来の慈悲の行動であった。

■日本仏教の正嫡

法然の念仏は従来の仏教各派からは異端そのものだった。一方、若き日の法然が学んだ比叡山の天台教学では、山も川もすべてが成仏できる「山川草木悉皆成仏」を説く。

「日本仏教最大の革命児の法然 法然の以前以後で大きく異なる日本仏教」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る