日本仏教最大の革命児の法然 法然の以前以後で大きく異なる日本仏教 (1/4ページ)
浄土宗開祖・法然(1133〜1212)は、鎌倉新仏教の先駆者であり、日本仏教史上最大の革命児である。法然の革命はどれだけ強調してもしきれない。日本の仏教は法然以前・以後に分けられるといってもよい。法然は「称名念仏」によって、仏教とは宗教とは本来誰を救うものなのかを示したのである。
■法然以前は観想念仏 法然以後は称名念仏
法然は「阿弥陀仏に帰依する」という意の「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば、身分が低くても、悪人であろうと、誰でも死後、極楽浄土に往生できるという「専従念仏」の道を説いた。難解な哲学も過酷な修行も厳格な倫理も道徳もいらない。念仏のみで救われるのである。
この口で称える念仏を「称名念仏」または「口称念仏」という。法然以前の念仏は「観無量寿経」に示されている「観想念仏」のことであった。阿弥陀仏の御姿や極楽浄土の情景をイメージし、目を閉じただけで阿弥陀仏や極楽が現れるようになると、臨終の際に阿弥陀仏が来迎して極楽往生できるというものである。既に日本に定置していた密教ではイメージを用いた瞑想の技法が豊富で、観想念仏もそうした瞑想技法の一種といえる。しかし観想念仏は簡単ではない。イメージを使うのは熟練が必要である。このために死後の往生を願う平安貴族は、平等院鳳凰堂など極楽浄土をイメージした建物や仏像などを建立した。貴族たちはこれらの建物や仏像などを、極楽浄土を観想するための一助としたのだ。寺の建立などという金も手間もかかる事をしたのは、観想念仏がいかに難しい行であるかを示している。もちろんこのようなことは極一部の特権階級にしかできない。寺は無くとも極楽浄土の情景を描く「阿弥陀経」などもあるにはあるが、民衆のほとんどは文字など読めず、経典を聞かせてあげるしかない。聞いたとしても極楽浄土の荘厳な光景を貧しい農民に想像できるだろうか。要するに金も時間も教養も無い、ただただ毎日の生活を田畑を耕して終わる農民らに観想念仏をすることはできない。極楽往生などできないのである。この世に生きていることすら苦しいのに、あの世での安息の保証も無い。それが本当に仏の教えなのだろうか。仏の慈悲は民衆には届かないのか。法然の主著「選択本願念仏集」にはこうある。