密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

[恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱]

 孝謙天皇の寵愛を受け、天皇位まで望まれた道鏡。(写真:奈良市)

その後も絶えなかった政争と悲劇

 悲劇の皇女井上内親王が務めた伊勢神宮斎王。(写真:wikipedia)

恵美押勝の乱後も、皇位にからむ争乱は絶えませんでした。孝謙が重祚して称徳天皇になると、称徳は寵愛する道鏡を天皇位に立てようと画策します。この動きは称徳の崩御でなくなり、道鏡も失脚します。

称徳の後を継いだ光仁天皇は、聖武天皇の娘である井上内親王(いがみないしんのう)を皇后にし、その間に生まれた他戸親王(おさべしんのう)を皇太子に立て、政局の安定を図りました。

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