あの素晴らしい〈フォークソング〉をもう一度<永井龍雲「道標ない旅」>山口百恵&三浦友和の恋人宣言で大ヒットが逃げた? (1/2ページ)
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週刊アサヒ芸能 2021年 4/1号
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日本のリバプールと呼ばれたのは福岡である。78年にデビューした永井龍雲(63)もまた、音楽の聖地から全国へ羽ばたいていった。
──デビューされた頃、同じ九州出身の長渕剛と並べられたように思いますが。
永井 そうか、僕の中では松山千春と比べられることが多かったと感じていました。ともに地方から発信するというような記事が多かったですね。
──なるほど。さてデビュー曲の「想い」(78年)を発表したのは、まだ20歳だったんですね。
永井 高校を卒業して、大学受験に失敗したので一度、東京に出たんです。そこで知り合った人に「福岡に帰って、曲をどんどん作ったほうがいい」と言われまして。それからストックがたまったところで、アルバムの制作に取りかかりました。
──20歳が作る歌は、経験値の点で不安はありませんでしたか。
永井 例えば同棲しているような歌でも、どうしても想像に頼らざるを得ないところはあります。ただ、フォークソングは「自分の生きざまを歌える」というので夢中になった。小学生の時に岡林信康さんの「山谷ブルース」を歌い、これにしっくりくる自分がいました。日々の悲哀のようなものを歌にするんだと。
──根津甚八がカバーした「素面酒」(78年)などは、その最たる例でしょうか。さて79年、広く知られることになったのが「道標ない旅」ですね。
永井 原題は「標ない旅」だったんです。それではわかりにくいんじゃないかということで、あえて「道標」を「しるべ」と読ませるタイトルになりました。
──「グリコアーモンドチョコ」のCMソングになったことで大量オンエア。大きなチャンスと感じましたか。
永井 CMソングなので電通の方が参加するなど状況は変わりましたが、僕自身は意識することはなかったですね。ただ、それまで作ってきた歌と異質な曲ではあったかもしれません。