イケメンは罪深し…徳川吉宗も起用したイケメン大名・鳥居忠意の女性関係におけるトホホな話 (1/3ページ)
江戸時代にはイケメン過ぎたことが原因で、女運に恵まれなかった人物がいました。
その人物は鳥居忠意(とりい-ただおき)で、下野壬生藩の3代目藩主を務めつつ、老中にもなったやり手のエリート大名でした。
今回は忠意がどのような人物で、かつ女性たちとのエピソードをご紹介したいと思います。
イケメンが功を奏し、出世街道を歩む忠意は享保2年(1717)、下野壬生藩主・鳥居忠瞭の長男として生まれます。
さらに類まれなる美貌の人物でしたので、「日本一の美男なることよく人の知るところなり」と評価されていました。
その美貌は時の将軍・徳川吉宗の知るところとなり、忠意は吉宗の代わりとして日光東照宮などへ参拝しました。まさに忠意は名代大名として徳川家斉の時までこの役を務めます。
また、この役目で寺社との繋がりを持ったことから35歳には寺社奉行となり、着実に出世していき仕舞いには老中となりました。
絵に書いたようなエリート街道を進んだ忠意でしたが、正室との出会いから女性に悩まされることになります。
恋焦がれた正室が起こした悲劇忠意の正室は亀井氏の娘で、忠意のことを非常に好いていました。