墓を掘って遺体を盗み出す死体盗掘人から墓を守る5つの方法(イギリス) (2/5ページ)
同州にある聖アンドリュース大聖堂やモニメール宮殿にも同じようなカラーが残っていたらしいが、行方がわからなくなって久しい。
グラスゴーのノースウェスト墓地で使われていたものもあり、解剖法が成立して1年もたっていない1833年のものだとわかった。解剖法とは、罪人だけでなく貧困者などの遺体も解剖用に使ってもいいという法律だ。
当時の新聞には、「遺体の首と足首を固定するためのふたつの半円形の鉄の輪」という記述がある。
ロンドンのセント・ジェームズ教会墓地で見つかったカラーは、"使用者"を追跡したところ、1819年に55歳で亡くなったサラ・ビートンのものだったことがわかった。その背後にある歴史を研究することも、研究者冥利に尽きるだろう。
・2. 棺の中に火薬

死体盗掘人に対抗するために二段階の方法があった。まずは、棺の頭の部分を墓の奥深くに固定すること。考えついたのは、ノーザンバーランドの地主で、やはり自分の土地から遺体が略奪されるのに悩まされていた。
そこで、丈の短い墓穴を掘って、脇のぎっしり固い土に窪みを切り、棺の頭の先端をそこに滑りこませることができるようにした。泥棒はたいてい、棺の頭部分をめがけて土を掘り、蓋が見えてくると、遺体の頭から肩あたりまでの蓋を切り取り、脇の下にフックを入っかけて引っ張り上げるというやり方で素早く遺体を盗み出す。だが上記のような埋葬の仕方だと、これができなくなる。
これでもダメな場合は、第二のプラン、墓の中に火薬を仕込むという過激な手段が講じられた。棺の蓋がこじあけられたらすぐに爆発するよう細工された、火薬とワイヤが仕掛けられたのだ。
1823年、ダンディーでの少女の埋葬で実際にこの方法が採用された。少女の父親は、泥棒を怖れて、娘の棺の中に火薬の詰まった小箱を一緒に入れた。だが、遺体も一緒に吹き飛んでしまわなかったのだろうか。