明治時代の競馬はギャンブルではなく貴族の社交場。不忍池にあった競馬場とは? (2/3ページ)
そのためか不忍池競馬が開催された当時の共同競馬会社の社長副社長は皇族・旧大名クラスが務め、幹事には伊藤博文、西郷従道、松方正義、岩崎弥之助のほか、会計長に三井八郎右衛門が就くなど錚々たる面々が名を連ねていた。
上野不忍池が競馬場として選ばれたのは交通の便の良さもあったが、西洋各国にならって貴族の社交場としての競馬場は公園内にあるのがふさわしいと考えられたからだと言われている。
不忍池競馬場の建設、華やかな開催からその終焉
開場に向けて池畔の一部を埋め立てたコースの整形や、メインスタンドとサブスタンド、馬200頭を収容できる厩舎が建設する工事が明治17年に着手された。江戸時代の不忍池は今とはかなり異なった形をしていたようで、現在の池の形はこの時の工事によって出来上がったものである。
そして、同年11月に天皇臨席のもと記念すべき第1回の競走が開催された。馬見所2階中央には明治天皇が座り、その左右には小松宮や有栖川宮をはじめとした宮家や旧大名、華族、各省高官、各国公使が列席。一般人もコースの外柵際の桟敷席でレースを観戦することができた。
池には満艦飾で飾り立てた舟を浮かべ、陸軍楽隊が音楽を演奏。演芸披露に打ち上げ花火、パラシュートを付けた人形が打ち上がるなど、まさに社交界の華やかなパーティーのような開場となった。