武士が備えるべき「威」とは?戦国武将「鎗中村」新兵衛の不覚と教訓 (2/3ページ)

Japaaan

敵これを見て、すはや例の猩々緋よ、唐冠よとて、いまだ戦はざる先に敗して、あへてむかひ近づくものなし。ある人、強(しい)て所望して、中村これを与ふ。その後戦場にのぞみ、敵、中村が羽織と兜を見ざるゆゑに、競ひかかりて切り崩す。中村戈(ほこ。槍)を振て敵を殺すことそこばくなれども、中村を知らざれば敵恐れず。中村つひに戦没す。これによつていふ、敵を殺すの多きを以て勝つにあらず、威を輝かして気を奪ひ、勢を撓す(どうす。くじく意)の理をさとるべし。
※『常山紀談』拾遺巻之四より。

トレードマークを貸してしまうと、彼が「鎗中村」と分からない(イメージ)。

【意訳】
摂津国(現:大阪府北部)の半分を治めていた松山新介(まつやま しんすけ。重治)の家臣に、数々の武勲を立てて「鎗中村(やりなかむら)」と恐れられた中村新兵衛(なかむら しんべゑ。高続)という豪傑がいた。
猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織、唐冠金纓(とうかんきんえい。中国風の冠デザインで金の房がついている)の兜がトレードマークで、戦場でそれを見ると敵は「うわぁ、鎗中村だ!」と恐れおののき、戦う前から逃げ出してしまうのだった。
ところがある日、ある者が「どうしてもその兜と陣羽織を貸して欲しい」と言うので新兵衛は仕方なくこれを貸し与え、自分は別の甲冑で出陣した。

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