武士が備えるべき「威」とは?戦国武将「鎗中村」新兵衛の不覚と教訓 (3/3ページ)

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すると敵兵たちは、その武者が「鎗中村」とは思っていない(本当は新兵衛だと知らない)ものだから少しも怯まず襲いかかり、新兵衛は奮戦むなしくついに討死しまう。
この事から得られる教訓は、戦に勝つにはただ敵を多く殺せばよいのではなく、威を発揮して敵の戦意をそぎ、実力を発揮させないことが肝要なのである。

松山新介は東四国から畿内地方を治めた戦国大名・三好(みよし)氏に仕え、その家臣であった中村新兵衛は将軍地蔵山の戦い(永禄4・1561年)で六角(ろっかく)氏の豪傑・永原安芸守(ながはら あきのかみ)を討ち取るなど勇名を馳せた武将です。

新兵衛のトレードマークであった猩々緋の陣羽織と唐冠金纓は数々の武勲を立てた歴戦の証で、それは単なる目印を越えて「鎗中村」というブランドをなす上で不可欠の要素でした。

このエピソードから「人は見た目に騙されやすいもの」程度の教訓を得ることも出来ますが、武士たちは「自分が生きて戦い抜いた経験によって我が身に備えた『威』を、軽々に扱ってはならない」と胆に銘じたことでしょう。

実際に強いことと同じく「強そう」に見えることも大切(イメージ)。

自分のブランド(鎗中村の象徴である陣羽織と兜)を他人に与え、その者が「鎗中村」として大いに暴れ回ることで自らの価値に酔っていたら、自分が討たれてしまった新兵衛の不覚は、心ある武士たちの油断を戒める教訓として伝わっています。

戦国乱世から遠く数世紀を経た現代でも、形を変えた「威」が生きる上で役立っていることを実感できるのではないでしょうか。

※参考文献:
菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書、2004年10月

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