八重洲、鍛治町、神保町…どこまで知ってる?江戸時代から続く東京の地名由来を一挙紹介 (2/3ページ)
神保町
『御府内沿革図書、御府内沿革図書. 第一篇上』(国立国会図書館より)
武家屋敷が多く立ち並ぶ場所で、元禄年間に旗本の神保長治が名前の由来といわれています。神保長治は書院番から昇進し元禄2年(1689年)に日光山の検分を命じられ最終的には正徳2年(1712年)に佐渡奉行となった人物です。
織田長益像(1622年、正伝永源院蔵、Wikipediaより)
有楽町の名は織田信長の弟で茶人としても名高い織田有楽斎が屋敷を構えたことに由来します。屋敷跡は有楽原といわれ、明治期に有楽町と名付けられました。
江戸時代、庶民の服といえば藍染。
この藍の買い付けを許された紺屋頭の土屋五郎衛門が支配していた町で、染物職人が多く住むことから名付けられました。土屋五郎衛門は軍功として徳川家康から関東一円の買い付けを許されたという。
鍛治町江戸幕府お抱えの鍛冶方棟梁だった高井伊織が屋敷を構えていたことに由来します。