武田信玄が行った人材活用術。それこそが戦国最強軍団を生み出した原動力だった【前編】 (2/5ページ)
情けは味方、仇は敵なり。
多くの名言を残しているとされる武田信玄。その中でも、『甲陽軍鑑』に出てくる、この言葉は特に有名です。
その意味を簡単に記しますと、以下のようになります。
いくら堅固な城を築こうが、人心が離れてしまっては全く意味がない。
情けは人をつなぎ留め、国を繁栄させるが、仇は人を離れさせ、国を衰退させるものだ。
この名言から「信玄は城を築かず、人の力で国を治めた」という解釈がなされますが、それは間違いです。
【実は信玄は築城術の名人】信玄の居城である躑躅ヶ崎館は、「館」という名で呼ばれているものの、複数の曲輪を高い土塁と深い水堀で囲み、厳重な虎口で守りを固めた堅固な平城でした。
さらにその背後には、詰めの城として要害山城が築かれ、周囲にある熊城、湯村山城などの出城とともに、躑躅ヶ崎館を厳重に防御しています。
躑躅ヶ崎館の詰城・要害山城。標高780mの要害山山頂を主郭とし、石塁などで防備を固めている。(写真:Wikipedia)
優れた戦術・戦略家であった信玄が、本拠地である甲府の防衛に「城は不要」などと本気でいうわけがありません。