日本一小さな大名?徳川家康さえ一目置いた、喜連川藩の歴史を紹介! (3/5ページ)
徳ある者に天下を譲る理想的な政権交代)」を演出したとも、あるいは「いつか徳川の世が終わった時、子孫たちも重んじられるように」などと願ったのかも知れませんね。
源氏の末裔を自称していた家康にとって、源氏でない織田も豊臣もいっとき天下を乗っ取ったならず者に過ぎず、あくまでも「足利⇒徳川」という世の流れを強調したかったのでしょう。
日本一小さな大名家?喜連川藩の特権と苦労さて、江戸時代を通じて1万石を超えることのなかった喜連川藩ですが、徳川幕府から様々な特権が認められていました。
一、御所号(喜連川『公方』と称すること)の許可
一、四品(しほん。四位以上の官位)待遇
一、伝統的な左馬頭(さまのかみ)などの自称許可
一、参勤交代の義務を免除
一、妻子を人質に出さなくてよし
一、軍役や普請など諸役を免除
一、帰る時は家康直々のお見送り(御送礼の儀)つき……などなど。
御送礼の儀は第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)の時に廃止されたそうですが、その他の特権は代々受け継がれ、江戸幕府と喜連川藩の特殊な関係は明治時代まで続きました。
ただし、特権もよいことばかりではなく、実質は1万石未満にもかかわらず10万石相当の家格を維持しなくてはならないため、財政面ではかなり苦労させられたそうです。