「御用だ!」使いこなせば奥が深い?時代劇で岡っ引きが持っている十手の歴史

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「御用だ!」使いこなせば奥が深い?時代劇で岡っ引きが持っている十手の歴史

「御用だ!」「御用だ!」……時代劇で岡っ引きが提灯と共に手にしている十手(じって)。把手のついた短い棒の横から、鉤(かぎ)が生えた特徴的な形をしています。

子供のころ、テレビを観ていた祖父に「十手って、どうして十手って言うの?」と聞いたところ、「十の使い分けが出来るからだ」と言うことでした。

「御用だ!」「御用だ!」右の男が持っているのが十手(イメージ)。

具体的には(1)打つ(2)突く(3)払う(4)鉤で絡めとる(5)刀を折る(6)隙間などにさし込む(7)こじる、こじ開ける(8)犯人を投げ飛ばす(9)犯人を押さえつける(10)犯人の関節を極(き)める……だそうですが、各流派によって諸説ありそうです。

シンプルがゆえに使いこなせば奥が深そうな十手……そこで今回は、十手の歴史について紹介したいと思います。

極めれば奥の深い十手。でも捕り物の現場では……?

十手の起源は刃引(はびき。刃を引いた=刃をつけない刀状の打撃武器)と考えられており、その鍔(つば)が鉤に変形して「兜割(かぶとわり)」に進化。

兜割(上)から十手(下)へ。Wikipediaより(撮影:いずれもSamuraiantiqueworld氏)。

さらに時代が下ると携帯しやすいよう兜割を小型化・シンプル化したものが十手と言われています。

冒頭で紹介した通り、その形状から様々な使い方が可能で、十人力(あるいは十人分の手=五人力)に相当する便利ツールとして、捜査・逮捕現場で重宝したことでしょう。

時代劇では岡っ引きが持っていることが多いものの、岡っ引きはその多くが元犯罪者(奉行らを手引きするために雇われている)ですから、護身とはいえ武器となる十手の所持は許されませんでした。

一方、実際に十手を持っていた同心(どうしん)たちは、犯人を捕らえる組討ち(実戦)よりも現場の部下たちを指揮するために使うことが多かったようで、どうも捕り物道具としてよりも警察組織の象徴という役割の方が大きかったようです。

「さぁ、言い訳はお白州でしてもらおうかい」同心に引き立てられる犯人(イメージ)。

※同心よりも上役である与力(よりき)や奉行(ぶぎょう)は、捕り物の現場に来ることはほとんどありませんでした。

達人・新免無二斎ほか色々な十手術流派

では、十手が武器として強くなかったのかと言えば決してそんなことはなかったようです。

例えば剣豪・宮本武蔵(みやもと むさし)の父と言われる新免無二斎(しんめん むにさい)は当理(とうり)流十手術の流祖として、その実力を時の室町将軍・足利義昭(あしかが よしあき)より激賞されたと言われます。

他にも、色々な十手術(流派によって実手などとも)があったようです。

一角(いっかく)流十手術
江戸時代初期/權藤角右衛門(ごんどう かくゑもん)

駒川改心(こまがわかいしん)流十手術
戦国時代後期/駒川太郎左衛門尉国吉(こまがわ たろうざゑもんくによし)

渋川(しぶかわ)流十手術
江戸時代初期/渋川伴五郎義方(しぶかわ ばんごろうよしまさ)

竹内(たけのうち)流
戦国時代中期/竹内中務大夫久盛(たけのうち なかつかさのたいふひさもり)

……など、その多くが十手術以外にもオーソドックスな剣術や柔術、杖棒術や小太刀をメインに、縄(捕縛、絞殺)、鉄扇、手裏剣といった暗器(あんき。隠し武器)も教えているようです。

十手の使用例(女性が手に持っている武器)。墨川亭雪麿『蘆手歌梅の由兵衛』より。

現代ではあまり注目されない十手術ですが、近ごろはかつて捕り物道具だった「刺叉(さすまた)」が採り入れられている施設も増えて来たので、十手も防犯用品として、脚光を浴びる日が来るかもしれませんね。

※参考文献:
名和弓雄『間違いだらけの時代劇』河出文庫、1989年7月
名和弓雄『絵でみる時代考証百科(捕者道具編)』新人物往来社、1985年3月
名和弓雄『図解 隠し武器百科』新人物往来社、1977年5月

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