平和ボケに喝!武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【上】 (2/4ページ)
子供の頃から憧れていた?『三国志(さんごくし)』の英雄・趙雲(ちょう うん。字は子龍)にあやかろうとしたのかも知れません。
趙雲子龍の雄姿。主君の赤子を懐中に抱いて、ただ一人で敵軍百万を突破したエピソードは有名。歌川国芳「通俗三国志英雄之壱人」より。
(※)武士の間では諱を忌み名(呼んではいけない)と考えており、ふだん呼ぶための通称が行蔵、字は中国から来た風習で、成人男性の通称として名乗ったものです。平子龍とは中国風の一文字姓+字で、いよいよ『三国志』っぽいですね。
「べらぼうめ、どいつもこいつも軟弱でしょうがねぇ。これじゃあご公儀のお役には立てねえよ!」
平山家は30俵2人扶持という貧乏暮らし(※)でしたが、世の人々、特に武士たちの「平和ボケ」を嘆いてか、自宅の隣に兵聖閣(へいせいかく)武道塾という道場を開き、文武の鍛錬を啓発したそうです。
(※)現代の感覚で年収およそ300万円で、自分+家来1名を雇う義務を負う。自分だけで生きるなら充分ですが、家来の俸給分がきつそうです。