平和ボケに喝!武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【上】 (1/4ページ)
世の中、平和であるに越したことはありませんが、あまりに平和すぎるとそれに疚(やま)しさでも覚えるのか、あるいは「もうそろそろ何か起こるやも知れぬ」などと危機感を抱くのか、ことさら武張った振る舞いに及ぶ偏屈者がごくたまに現れます。
「常在戦場(じょうざいせんじょう、常に戦場に在りの精神)」「治にあって乱を忘れず」
誠に結構な心がけではありながら、傍から見ればいささか滑稽にも映るもので、しばしば人々の失笑を買うことも少なくありません。
「てやんでぃ、べらぼうめ!」
今回は江戸時代末期、文弱に流れる世の中に憤りながら、どこまでも武士の在るべき姿を追求し続けた平子龍(へいしりゅう)先生こと平山行蔵(ひらやまこうぞう)のエピソードを紹介したいと思います。
武士たちの「平和ボケ」を嘆いた平子龍先生、道場を開く行蔵は江戸時代中期の宝暦9年(1759年)、江戸幕府の御家人(伊賀組同心-いがぐみ どうしん)である平山甚五左衛門(じんござゑもん。勝籌)の子として四谷北伊賀町の稲荷横丁(現:東京都新宿区三栄町)のに生まれました。
諱(いみな。本名)は潜(ひそむ)、元服して字(あざな)を子龍(しりゅう)と称します。