詐欺師か天才交渉人か?日本初の商社をつくり賠償金35億を手にした坂本龍馬の話 (2/2ページ)

Japaaan

おかげで長州藩は、薩摩藩名義でイギリスの商社から武器を購入できるようになりました。

そして、倒幕のために武器が欲しい長州藩と、倒幕はしたいが矢面には立ちたくない薩摩藩の思惑が一致し、薩長同盟を結ぶことにつながったと言われています。

海援隊がレンタルした「いろは丸」の沈没

船の帆

「いろは丸」とは、龍馬の結成した海援隊が大洲藩(愛媛県)からレンタルしていた蒸気船で、航海中に紀州藩(和歌山県)の「明光丸」とぶつかり、沈没しました。

荷物ごと沈んだ「いろは丸」には、最新式の銃を積んでいたとして、船と積み荷の代金を請求。

このとき龍馬は、航海日誌の提出や万国公法を持ち出して過失を追及するなど、紀州藩との交渉を有利に進められるよう交渉術を繰り広げたと言われています。

そしてついに、船と積み荷代金を合せて約7万両(現在の約35億円)の賠償金を支払わせることに成功したのです。

詐欺師か、天才交渉人か

鞆の浦

龍馬の死後から100年以上経ち、広島県にある鞆の浦の海底にて、1988年に「いろは丸」だと思われる沈没船が発見されました。

しかし、龍馬が積み荷だと主張していた最新式の銃は、最近の調査でも見当たらないままとなっています。

そのため、約35億円の賠償金を受け取った龍馬のことをクレーマーや詐欺師だと言う人もいれば、天才交渉人やヤリ手だと言う人もいて意見が分かれているようです。

さて、あなたの見解は?

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「詐欺師か天才交渉人か?日本初の商社をつくり賠償金35億を手にした坂本龍馬の話」のページです。デイリーニュースオンラインは、坂本龍馬江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧