日本史を2万年も増やした男「相澤忠洋」を君は知っているか? (2/4ページ)
彼は生前、「考古学がやりたいから、納豆の行商をしているのだ。サラリーマンでは、時間に拘束され遺跡の踏査が自由に出来ない。目的の手段として行商をしている」と言っていたそうです。
彼が、日本史の常識を覆すことになる石片を見つけたのは、群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)の小さな丘陵地帯の赤土の中からでした。
ただしこれは旧石器と断定はできず、相澤は発掘を独自に続けていきます。
そして1949(昭和24)年の夏、彼は槍の先につけて使われていたと思われる「槍先形石器」をついに発見しました。これは黒曜石でできた、完全な形をしたものでした。
相澤のこの発見が、かの有名な「岩宿遺跡」の始まりでした。のちに本格的な調査が始まると、いわゆる「打製石器」がいくつも出土しました。古いものでは約3万5000年前のものも含まれており、日本には縄文時代より古い「旧石器時代」が存在することが分かったのです。
アマチュア考古学者の情熱が、日本の古代を縄文時代よりもさらに2万年以上も「増やした」のでした。
「旧石器時代」とはどんな時代かさて、改めて「旧石器時代」とはどんな時代だったのでしょうか。
それは「日本列島」がまだ存在せず、ユーラシア大陸とひと続きになっていた頃のことです。北からはマンモスが、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどが、大陸から日本(のちに「日本列島」となる地域)に渡ってきました。日本人の遠いご先祖様たちも、こうした大型獣を追ってやってきたと考えられています。
ただ、そうした人たちの骨は、ほとんど発掘されていません。かろうじて沖縄県の港川人や静岡県の浜北人などがある程度で、それらも猿人・原人・旧人・新人の順に出現した人類の中では最後の「新人」段階のもので、それより古い化石人骨は未発見です。
