マスターズ覇者・松山英樹と石川遼の「逆転人生」(2)ハニカミ旋風を高校の寮で (1/2ページ)
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ここで時を戻そう。今から10年以上も昔、松山の快挙を想像できただろうか。マスターズを制する日本人は? この問いに、誰もがスーパーエリート・石川遼(29)の姿を思い浮かべたはずだ。
その「逆転人生」はアマチュア時代に遡る。
「2人が初めて同じ大会で相まみえたのは中学1年生の『全国中学校ゴルフ選手権』。松山は当時から石川の存在を意識していたそうで、『同じ中1なのに、1Wで40ヤード置いていかれた‥‥』と、のちにセッティングされた2人の対談で明かしていました。石川が15歳でアマチュアながら国内ツアー初優勝を飾った時、松山は明徳義塾で寮生活を送る一介の高校生に過ぎなかった。両者は完全に別世界の住人でした」(ゴルフ誌ライター)
早咲きの石川は07年のハニカミ旋風を経て、18歳だった09年に見頃を迎えたが、満開状態はそう長くは続かず‥‥。
「18歳で賞金王の最年少記録を塗り替えたのがピークでした。その後、活躍の場を米ツアーに移しましたが、12年の『プエルトリコオープン』と14年の『シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン』での2位が最高。対する松山は14年の『メモリアル・トーナメント』で史上最年少となる米ツアー初優勝を飾って脚光を浴びました」(スポーツ紙デスク)
松山は拠点をアメリカに移し、石川もマスターズの開催地・オーガスタに7LDKの大豪邸を購入したというが、
「価格は日本円で3000万円ほど。鳴かず飛ばずで米ツアー挑戦を断念した17年頃に売りに出し、オーランドとカールスバッドの豪邸も処分したそうです」(スポーツ紙デスク)
16年の「ISPSハンダワールドカップ」では、松山が石川をパートナーに指名する形で参戦したが、
「この時点で松山が格上だったのは歴然。