55周年!最高視聴率40.5%!バケモノ番組『笑点』の爆笑伝説 (2/2ページ)

日刊大衆

「中でも、談志は番組の企画に関わるプロデューサー的存在でした。大喜利をメインにする構成も、彼のアイデアです」(前同)

 当時、座布団運びをやっていた毒蝮三太夫は、談志時代を知る貴重な証人だ。

「談志が常に言っていたのは“俺を笑わせろよ”ということ。だから円楽も歌丸もみんな、談志に向かって答えていたわけですよ。それで厳しく切磋琢磨していたんですよね。談志は、“俺が笑えば、視聴者も笑うし、落語を知らない人もついてくるから”と。まあ“俺様主義”のプロデューサーでしたね(笑)」

 高い人気を得た『笑点』だが、開始3年で番組史上最大の事件が発生する。

■最高視聴率は紅白超え!

「ワンマンな談志に反発した大喜利メンバー全員が降板してしまったんです。69年春から出演者を一新しますが、談志自身も衆院選出馬(落選)を理由に、すぐに番組を去ることになります」(前出の関係者)

 穴を埋めるべく新司会者に起用されたのが、人気タレントの前田武彦だ。

「その前後は大喜利メンバーの入れ替えが激しい期間で、柳家かゑる(のちの鈴々舎馬風)や三遊亭歌奴(のちの円歌)ら、その後に落語協会の会長を務める出演していました」(前同)

 結局、前武司会期に、円楽、歌丸、小円遊が復帰し、三遊亭円窓、林家木久蔵(現・木久扇)が加入。70年末、三波伸介(先代)が3代目司会者となり、やがて、こん平も復帰し、番組は安定していく。

「三波さんは、前武さんの代打で司会を務めたことがあり、それが好評だったことからの起用でした。一座の座長のような立ち位置でメンバーをまとめた、三波さんの貢献は大きかった」(前出のライター)

 最高視聴率を記録したのも、三波司会の時代だ。

「73年10月21日放送分は、なんと40.5%(ニールセン調べ)で、昨年末の『紅白歌合戦』(40.3%=ビデオリサーチ調べ)より高い」(前同)

 しかし、三波は82年に52歳で急逝。「落語に専念」を理由に77年に降板していた円楽が、6年ぶりに新司会者として復帰した。

 4月26日発売の『週刊大衆』5月10・17日号では座布団運びの秘密など、抱腹絶倒のエピソードを紹介している。

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