暗殺が横行した幕末「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

岡田以蔵の末路

八月十八日の政変(尊攘派の公家である三条実美や支えていた長州藩などを朝廷から排除したクーデター)後に土佐勤皇党の勢いも失速し、土佐藩主山内容堂による土佐勤皇党の弾圧が始まりました。
その頃、以蔵は金がなくなり、商家へ押し入ったところを捕縛され犯罪者として土佐へ搬送されます。搬送後、同士が拷問に耐える中、以蔵は耐えきれず自分の罪状や加担した同士を洗いざらい喋ってしまい、土佐勤皇党崩壊のきっかけとなってしまいます。結局、岡田以蔵は打ち首、獄門での最期となりました。享年27歳。

土佐勤皇党のため、武市半平太の恩に報いるために人斬りとなった岡田以蔵。素行の悪さと土佐勤皇党大獄のきっかけを作ったため、土佐勤皇党の顕彰碑に名前が刻まれることすらなく、空しい末路となったのです。

4 中村半次郎(なかむらはんじろう) 中村半次郎

中村半次郎 Wikipediaより

中村半次郎は、西郷隆盛の右腕として知られています。「人斬り半次郎」と呼ばれ幕末の四大人斬りの一人となっていますが、田中新兵衛や岡田以蔵などと比較するとそこまで人は斬っていません。

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