新旧1万円札の顔「福沢諭吉」と「渋沢栄一」実は知り合いだった!2人の共通点など紹介 (4/5ページ)

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年貢のように返済されるわけでもない御用金を集めるにもかかわらず、威張り散らしている代官の態度に、栄一は反発。封建的な身分制度を憎むことにつながりました。

下級士族の子として生まれた諭吉もまた、「門閥制度は親のかたき」と言い、身分制度を憎んでいます。

「門閥制度」とは、武士の子供であれば武士になる、農民の子供であれば農民になる、など、生まれた家の身分や地位を引き継がなければならない仕組みのことです。

栄一に手紙を書いた諭吉 握手する男性

画像:写真AC

1878年頃、諭吉が栄一に宛てた手紙が大分県中津市の「福澤記念館(福澤諭吉旧居・記念館)」にて公開されていたこともあります。

2人は親密とまではいかなかったものの、長きにわたって親交がありました。

栄一のコラムを執筆

明治26年6月11日、諭吉が発行していた新聞「時事新報」に、「一覚宿昔青雲夢」というタイトルで記事が掲載されています。

執筆したのは諭吉で、内容は、「役人での出世を目指す風潮のなか、役人を辞め、経済を発展させるために実業家としての道を選んだ栄一の生き方に共感した」というものです。

このことから、諭吉が栄一のことを高く評価していたことがうかがえます。

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