前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その1】 (2/4ページ)

Japaaan

この上方で動員できる旧幕府軍は、近代装備を擁し、調練を十分に行ってきた熟練の兵が1万5千人もいる。

それに会津・桑名・藤堂・井伊など親藩・譜代各大名家の軍勢も揃っている

この軍勢をもって薩摩・長州の軍を威圧しつつ、時を稼げばよかった。

確かに大政奉還はした。しかし、何一つ具体的な政治活動を行えない維新政府は、必ず自分に助けて欲しいと哀願してくるに違いない。

事実、ことはそのように進んでいた。岩倉具視や三条実美は、慶喜に対し妥協策を投げかけてきた。「前内大臣」の官位を称することを認め、領地返上に関しても一度審議の場に戻すと打診してきたのだ。その上で、議定職に補するというというものだった。

だが、こうした動きは、江戸における薩摩藩邸焼打ち事件で頓挫した。それがきっかけとなり鳥羽・伏見で、旧幕府軍と薩長軍の間に戦端が開かれた。それでも、強力な旧幕府軍は必ず勝利するはずであった。

では、何故だ、何故これほどもろく我が軍は敗れたのか?

その上、錦旗に叛く賊軍とは。この先自分がとるべき行動とはなんだ?

まもなく、薩摩・長州をはじめとする維新政府軍は大坂に押し寄せてくるだろう。

策を講じる時間は余りない。そうだ、やるなら今だ……。

慶喜は、なにかを悟ったように頷くと、襖の向こうで控えている小姓を呼び寄せた。そして、大坂城中にいる大名や幕閣、諸役人まで、ことごとく大広間に集まるよう命じた。

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