前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その1】 (1/4ページ)

Japaaan

前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その1】

1868年1月3日から6日までの4日間、京都洛南の鳥羽・伏見において、徳川慶喜を擁する旧幕府軍薩摩を中心に長州などを主力とする維新政府軍の間で、激戦が繰り広げられた。

戦闘は、維新政府軍の連戦連勝により、旧幕府軍はじりじりと大坂に追い詰められていく。旧幕府軍の失地回復は、大要塞・大坂城での徹底抗戦しか残されていなかった。

そんな中、1月6日の夜、慶喜は股肱(ここう)の臣を伴って、突然大坂城を脱出した。結果的に、この敵前逃亡が徳川家復権の望みを断ち切る決定打となった。

なぜ、慶喜は大坂城から逃げたのか、その真相を探っていく。

連戦連敗の現実に自問自答を繰り返す

 鳥羽・伏見の戦い(高瀬川堤での戦闘)。左側が旧幕府軍、右側が長州軍。(写真:Wikipedia)

連日にわたり、大坂城に鳥羽伏見での敗戦の報がもたらされる。その都度、平静を装いながらも、城中奥の間で、徳川慶喜は自問自答する……。

そもそも負ける戦いではなかった。

「前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その1】」のページです。デイリーニュースオンラインは、徳川慶喜幕末カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る