誰より努力家で仲間思い…新選組の六番隊長・井上源三郎の「裏の顔」 (3/4ページ)

Japaaan

天才も凡人も、同じ志に精進していた(イメージ)。

天才剣士・沖田総司(おきた そうじ)のようにすぐマスターしてしまうのも凄い一方で、地味ではあっても源三郎のようにひたすら努力を続けられるのも、かけがえのない才能だと実感させてくれるエピソードです。

人当たりがいい、その裏で……?

さて、そんな源三郎は文久2年(1862年)2月に新選組の前身である浪士組(ろうしぐみ)に参加して以来、慶応4年(1868年)1月に新政府軍との戦闘で討死するまで約6年間にわたって近藤や土方をよく補佐して隊を支えました。

普段は無口だけど人当たりがよく、新選組では外部との交渉ごとや要人の応接など事務的な仕事を担当。人格者として自身が率いていた六番隊はじめ、若い隊士たちからも慕われていたようです。

「誰より努力家で仲間思い…新選組の六番隊長・井上源三郎の「裏の顔」」のページです。デイリーニュースオンラインは、井上源三郎志士新選組幕末剣術カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る