大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯 (2/6ページ)

Japaaan

一生懸命働いて、本家を建て直した市郎右衛門(イメージ)。

当時「中の家」は渋沢一族の本家でありながら経済的に傾きつつあったのですが、仕事熱心で創意工夫の意欲に富んだ市郎右衛門は養蚕と藍玉づくりに励み、生家「東の家」に経済援助するまでに建て直しました。

そんな働きぶりによるものか、血洗島村を治めていた岡部藩(安部-あんべ氏)より苗字帯刀の権利を認められ、村の人々からも慕われたそうです。

その一方で花鳥風月を愛して俳諧を嗜み、神道無念流(しんとうむねんりゅう)剣術をよくしたと言いますから、まさに文武両道と言えるでしょう。

尊皇攘夷の血気に逸る栄一らを諭す

さて、天保11年(1840年)には待望の男児・渋沢栄一が生まれ、家業を継がせようと厳しく教育したそうですが、真綿が水を吸い込むような成長を喜ぶ一方で、困ったことも起こります。

「大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、渋沢市郎右衛門尊皇攘夷青天を衝け志士渋沢栄一カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る