大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯 (3/6ページ)
郷に入れば郷に従え…外国人への無礼討ちとして有名な生麦事件。Wikipediaより。
「異人どもめ……神聖なる日本の国土を踏みにじる横暴、もはや我慢がならぬ!」
「事なかれ主義の弱腰な徳川幕府には任せておけぬ!今こそ我らの手で攘夷を決行し、天子様(天皇陛下)の御心を安んじて差し上げよう!」
「おう、やらいでか!」
嘉永6年(1853年)の黒船来航よりこの方、ジワジワと開国が進んで外国人が各地を横行。しばしば傍若無人な振る舞いに及んでトラブルを惹き起こしており、これに憤る者たちが尊皇攘夷(そんのうじょうい)を声高に叫び始めたのです。
尊皇とは「天皇陛下=皇室をたっとぶ」こと、攘夷とは「夷(ゑびす。野蛮人≒国を乱す者)を攘(うちはら)う」ことを言い、外国人の横行が「皇室をたっとぶため、国を乱す野蛮人を打ち払って天皇陛下の御心を安んじる」尊皇攘夷の意識を急速に高めたと言えます。
日本の文化を否定し、同胞に乱暴することは、すなわち日本の象徴である皇室に対する侮辱であり、日本人であれば誰もが怒り心頭な案件ですが、いかんせん志士たちの主張や行動は過激でした。