大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯 (4/6ページ)

Japaaan

「かくなる上は、横浜へ殴り込んで外国人居留地を焼き討ちしてくりょうぞ!」

「「「おおぅ……っ!」」」

栄一の従兄たち。左が喜作、右が新五郎。Wikipediaより。

文久3年(1863年)、年ごろになった栄一は分家「新屋敷(しんやしき)」の渋沢喜作(きさく。栄一の従兄)や、同じく従兄の尾高新五郎(おだか しんごろう、惇忠)らと共に攘夷運動を計画します。

「やめんか!いっときの怒りに任せて個々に暴れたところで、世の趨勢は変わらん。来るべき時が来れば、皆で力を合わせて世直しも叶うゆえ、今は自重して、力を蓄えるんじゃ!」

結局、この横浜焼き討ち計画は中止されたのですが、このままでは収まらぬ栄一は、喜作らと共に攘夷運動が活発な京都へ行くことにしました。

尊皇攘夷の志士となった栄一を送り出す

「……どうしても行くんか?」

「はい。父上には申し訳ないのですが……」

時には非合法な行為に及ぶかも知れず、家族に迷惑がかからぬよう、栄一は市郎右衛門に対して自分を勘当(かんどう。

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