東京都目黒区の五百羅漢寺で行われているお財布供養について (3/4ページ)

心に残る家族葬

日々の暮らしの中で、常にそばにいて、ずっと大切にし、なおかつ、「臨時収入!」「あ、損した!」などといった、お金にまつわる悲喜こもごもを一緒に感じてくれていた、ある意味自分の「分身」である財布を供養することは、古い自分を捨てること。そして、さながら爬虫類の脱皮のように、新しい自分に生まれ変わったように思われ、実に感慨深いものである。

 「供養」という言葉は、「亡くなった人の魂を鎮める」こと、そしてそのための、主として仏教系の儀式を想起させるものだが、「お財布供養」の場合は、「供養」にまつわる「悲しさ」「やりきれなさ」「暗さ」などが存在しない。それは言うまでもなく、人の命が失われることと、古い財布をゴミとして捨てるのではなく、手厚い儀式をもって「葬る」こととでは、「重さ」「衝撃」「喪失感」が大きく異なるためだ。亡くなった人のための「供養」が、自らの再出発を誓う「場」には、必ずしもなり得ないものではあるが、たかが「もの」と、簡単に言い難い、捨てにくい「もの」であるお財布供養のような「明るさ」がある「供養」も、時に意義あるものなのかもしれない。

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