15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その2】

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15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その2】

鳥羽伏見の戦い維新政府軍の勝利で終わり、旧幕府軍は大坂城における徹底抗戦で起死回生を図る。

しかし、慶喜は僅かな人々を伴い、1月6日の夜、突然大坂城を脱出。海路、江戸に逃げ帰り、その後は恭順謹慎に徹した。(この間の顛末は、『前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る/その1~3』をご参照下さい)

今回はその後日談として、慶喜とともに大坂城を脱出した人々慶喜東帰に関わった人々その後の人生をどのように送ったか、その人現模様を紹介する。

【その2】では、慶喜の意を介し、恭順謹慎した人々のその後の生涯を追ってみた。

前回の記事はこちら

15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その1】

江戸東帰後、それぞれの人生

 徳川慶喜。(写真:Wikipedia)

徳川慶喜の大坂城脱出は、真の意味で旧幕府の終焉だった。

慶喜が画策した天皇を頂点とし、慶喜が首班を務め、さらに諸侯やその家臣達が評議する「挙国一致の政治体制」がもろくも崩れたのである。

明治維新政府の要職は、薩摩・長州を中心とした人々が占め、そこには、旧幕府の誰もが参加できないという厳しい現実を意味していたのである。

慶喜とともに大坂城脱出をした人々、それに関わった人々は、いずれも旧幕府の要職にあった者達だった。

もし、慶喜が夢見た「挙国一致の政治体制」が成ったとしたら、その多くは大いに力を発揮したことだろう。

しかし、旧幕府が完全に終焉を迎えた時、彼らは、それぞれ信じた道を歩みだすしかなかった。

恭順の後、徳川家とともに生きた人々 【酒井忠惇 ~駿府預けの後、東照宮祀官を歴任~】

 酒井氏姫路藩9代藩主・酒井忠惇。恭順に徹し華族・男爵に列せられた(写真:Wikipedia)

江戸東帰後に、老中罷免、官位剥奪の上、維新政府から隠居謹慎を命じられた。その後、駿府の徳川家達の預けとなった。

1872(明治5)年になり、華族に列せられ、1889(明治22)年には上野東照宮副祀官、その後、久能山東照宮宮司となる。1899(明治32)年、69歳で没した。

【浅野氏祐 ~徳川本宗家に寄り添った生涯~】

薩摩藩邸焼打ち事件など、江戸の情勢を伝えに大坂城に入ったその日が慶喜の大坂脱出当日という数奇な運命を担った人物。

慶喜からは、去留どちらとも随意という意向を示されたが、ともに東帰した。慶喜の水戸行に随行した後、徳川家達が駿府に入封されるとこれに従った。

1869(明治2)年の廃藩置県後、県知事に相当する静岡県参事に就任。1890(明治23)年からは公爵徳川家の家令を務め、1900(明治33)年、66歳で没した。生涯を通じて、徳川本宗家に仕えた

意外な人生を歩んだ人 【平山敬忠 ~神道家として生き、神道大成派を創立~】

 平山省斎を名乗り、神道家として生涯を送った。(写真:Wikipedia)

対薩長強硬論者でありながら、慶喜から大坂脱出の供を命じられた。江戸東帰後は、神道家・平山省斎(せいさい)として活動、日枝神社祠官氷川大社宮司を務めた。

1882(明治15)年、敬神愛国を旨とする神道大成派として独立し、その初代管長となった。1890(明治23)年没、享年75歳。

東帰後まもなく維新政府に出仕した人々

 ウィーン万国博覧会での日本館展示風景(写真:Wikipedia)

【山口直毅 ~維新政府官吏・漢詩人として生きる~】

維新政府の神祇局官吏として出仕。また、漢詩の創作にも勤しみ『江戸年中行事詩』を著した。1895(明治28)年、65歳で没した。

【高畠五郎 ~ウィーン万博の日本館で展示を行う~】

江戸東帰後は、上野国岩鼻の代官を務めていたが、維新政府軍に捕らえられた。まもなく釈放され、1870(明治3)年に兵部省に出仕した。

その後も、陸軍省、海軍省に勤務し、1884(明治17)年に没した。享年、60歳。1873(明治6)年には、ウィーン万国博覧会に派遣され、1年あまり、五大陸を周遊している。

歴史の表舞台から消えた人 【芳(新門辰五郎の娘) ~慶喜の愛妾として大坂に同伴~】

 芳の父・新門辰五郎。生涯にわたり、慶喜に義を尽くした。(写真:Wikipedia)

江戸の町火消・新門辰五郎の娘で、慶喜の側室・愛妾となる。辰五郎は、禁裏御守衛総督に就任した慶喜の命で子分を率いて上洛し、二条城を守護した。

上洛にあたり慶喜は、芳を同伴したとされるが大坂城にいたかどうかは定かでない。だが、大坂城脱出の折、開陽丸にも伴われていたことから「逃避行に女子を伴った」と、ひと悶着があったという。

芳は、明治維新以降、慶喜から暇を与えられたとみられ、歴史の舞台から姿を消した。

辰五郎は、慶喜の謹慎後も上野寛永寺を警固したり、徳川家の駿府移封時には、その行列を数千人の火消を率いて警護するなど積極的に活動を行っている。従って、芳も辰五郎の庇護下で暮らしたことは想像できる。

【その2】は、ここまで。

【その3】では、慶喜とともに江戸に戻った人々と慶喜東帰に関わった人々の中で、恭順謹慎を良しとせず、維新政府軍と抗戦した人々、さらに大坂城に残留した人々のその後を紹介しよう。

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