奴隷から一転!サムライとなり織田信長を支えた黒人「弥助」とは?話題のアニメ化情報も紹介

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奴隷から一転!サムライとなり織田信長を支えた黒人「弥助」とは?話題のアニメ化情報も紹介

奴隷として日本へやってきた黒人「弥助」

日本に到来した南蛮人(Wikipediaより)

戦国時代のポルトガルは植民地扱いされており、多くのポルトガル人が奴隷として売買されていました。ポルトガル領のアフリカ出身である弥助(やすけ)もその1人で、インドの宣教師に奴隷として買われ、日本の京都へやってきたのです。

戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【前編】

弥助と信長の出会い

当時の日本では肌が黒い黒人は珍しく、一目見ようと多くの見物人が集まったそうで、怪我人が出るほどだったのだとか。信長も弥助を初めて見た時に興味を示し、肌に「墨を塗っているのではないか」と問いただし、目の前で体を洗わせたそうです。

この時代、名茶人である「千利休」は「黒」が至高の色だと考えており、仲の良かった信長も影響されて弥助の体に至高の美を感じ取ったのかもしれません。

弥助を気に入った信長はインドの宣教師と交渉し、弥助を譲り受けます。これが弥助と信長の出会いでした。

弥助と信長の関係

信長は弥助を奴隷扱いすることなく、武士の身分を与えています。そのことから、いままでの奴隷生活は一変。私邸や腰刀を持つ許可も得て、弥助は信長に従軍することとなったのです。

弥助は常に信長の側にいて、道具持ちや身辺警護などの役を与えられていました。「才能あるものは身分を問わず登用する」といった信長の言葉を表す、登用の代表と言えるでしょう。

信長の死と弥助

信長が亡くなったあとの弥助については、2つの説があります。

強制送還された弥助説

1582年、信長と共に本能寺で宿泊していた弥助は本能寺の変に巻き込まれ、明智光秀らに捕縛されてしまいます。そして、光秀が弥助に「動物であって日本人ではない」と言い放ち、南蛮へ強制送還したというのが1つの説です。

信長の名誉を守った弥助説

本能寺の変を起こした明智光秀は「将軍足利義昭に反逆した重罪人として、信長の首を晒す」ことを目的としていました。

光秀の目的を悟っていた信長は、自殺するときに自分の遺体が残らないよう本能寺に火をつけます。しかし、それでも不十分だと考えた弥助が信長の首を岐阜県に持ち帰ったという説です。

弥助をモチーフにしたアニメが話題

この記事で紹介した「弥助」を主人公としたアニメ「YASUKE」が、有料にはなりますが、動画配信サイト「Netflix」にて独占配信されています。

戦国時代、織田信長に仕えた黒人武士・弥助を題材にしたアニメ「Yasuke -ヤスケ-」がNetflixで全世界配信!

魔法や武器なども登場するSF風のアニメになっているため、史実とは異なる部分も多いですが、弥助を知らない人でも楽しめる内容となっていて入り込みやすいです。

アニメやドラマを入り口に

「YASUKE」のような現代アニメのほか、歴史映画やドラマから歴史に触れ、歴史に興味を持つ人も少なくありません。

この記事を読んで、「もっと深く弥助を知りたい!」と興味がわいたら、ぜひアニメや歴史本などもご覧になってください。

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