そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介 (2/5ページ)

Japaaan

そこで今回は、近世日本を揺るがすインパクトを与えたペリー提督の「黒船」前後を紹介したいと思います。

幕府に白旗プレゼント…ヤる気満々で日本へ出航!

ペリー(マシュー・カルブレイス・ペリー。以下ペリーで統一)は1794年4月10日、アメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポートで、海軍士官のクリストファー・レイモンド・ペリーの三男として誕生しました。

父と同じく海軍に入隊してキャリアを重ね、1852年11月に東インド艦隊司令長官(提督)に就任。フィルモア大統領から日本に開国を求める親書を託され、アメリカを出航します。

ミラード・フィルモア大統領。Wikipediaより。

この時、ペリーは日本に対して脅しをかけてやろうと「白旗」の贈呈を大統領に進言しました。

「我らが艦隊の威容を見せつけた上で『開国を拒むなら一戦を交えるので、貴国には降伏の印=白旗が必要になるだろう』という、素敵なメッセージを発信してはどうでしょうか?」

万事チカラにモノを言わせ、弱いと見れば徹底的になぶり倒す……ペリーってのは、こういうヤツ(※)です。が、常識人のフィルモア大統領は進言を却下。

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