そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介 (4/5ページ)
しかし、大西洋からインド洋経由(※)で琉球国(現:沖縄県)までやって来ると、礼節正しいもてなしと高度な文化(精巧な建築や街並みの美しさなど)に面食らってしまい、それまでの「忌まわしき野蛮人ども」という認識を若干改めたと言いますから、根っからの悪人でもなかったのかも知れません。
(※)アメリカから日本に渡ってきたというと、現代的な感覚では太平洋を横断してきたかのようなイメージを持ちますが、史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
エピローグさて、交渉のすえ嘉永7年(1854年)3月3日に日米和親条約を調印、7月11日に琉米修好条約を締結、日本開国の大役を果たしたペリーは香港へ渡りました。
かねて体調を悪くしていたペリーはアメリカ本国に帰国申請を出し、許可が出ると東インド艦隊の指揮権を譲ってミシシッピ号を下船。イギリス船に乗せてもらってニューヨークへ帰還し、1855年1月22日、東インド艦隊司令長官の退任式が挙行されます。
余談ながら「たった四杯」と詠まれた蒸気船ですが、実は浦賀に来航した軍艦4隻のうち蒸気船はミシシッピとサスケハナの2隻のみで、残るプリマスとサラトガは帆船だったそうです。