戦国大名もブランド重視?徳川家康と島津義久の家柄争いエピソード (2/4ページ)

Japaaan

「おぉ、皇室に連なるお方なのですか……言われてみれば、そこはかとなく気品が感じられるような……」

「かの名将のご子孫ですか……確かに、どっしりとした風格を備えていらっしゃるような……」

そういう祖先のブランドを重んじる心情は、往時の武士たち、それこそ歴史に名を残したような人物であっても同じだったようで、今回は戦国大名の徳川家康(とくがわ いえやす)と島津義久(しまづ よしひさ)のエピソードを紹介したいと思います。

家康が義久に言い放った皮肉

ある時、雑談の席で家康が、義久にこんなことを訊ねました。

徳川家康。Wikipediaより。

「島津殿はかつて数々の武勲を重ね、薩摩と大隅(現:鹿児島県)、日向(現:宮崎県)の三ヶ国を制された御大身なれば、後学のため武勇伝など拝聴したい

かく言う家康はかつて東海五ケ国(三河、遠江、駿河、甲斐、信濃)を切り取り、後に豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)から関東八ケ国(上野、下野、常陸、武蔵、下総、上総、安房、相模)を与えられており、純粋な憧れなどでないことは明らか。

(やがて豊臣の世が終われば、全国の強豪たちと再び天下を争うことになろう。今の内から、少しでも情報を掻き集めておかねば……)

一口に武勇伝と言っても、その中には敵味方の兵力差や戦術、家中の人間関係や弱点など、様々なヒントがちりばめられているもの。

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