幕末秘話。日本とロシアが一触即発の危機に!樺太などの北方を守った会津藩 【前編】 (3/5ページ)
1806(文化3)年、ロシアの武装船は、再び樺太を襲い、日本の運上屋、番屋、倉庫などを襲い、物資を強奪した上に、日本人を拉致しました。
そうした行為は翌年も続き、蝦夷沖を航行する日本の商船を襲い、物資を奪う事件が頻発したのです。
ラクスマンに伴い、帰国を果たした大黒屋幸太夫と磯吉。(写真:Wikipedia)
蝦夷防衛のために各藩藩士を派遣する
こうしたロシアに対して、江戸幕府は早急な北方警備の必要性に迫られます。
1807(文化4)年、幕府は、弘前(津軽家10万石)・秋田(佐竹家20万石)・盛岡(南部家20万石)・庄内(酒井家14万石)の各藩に命じ、総勢3千名を蝦夷防衛のために派遣したのでした。