幕末秘話。日本とロシアが一触即発の危機に!樺太などの北方を守った会津藩 【前編】 (5/5ページ)

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(写真:Wikipedia)

会津藩にとって北方警備のために藩士を派遣すること、特に樺太・宗谷・利尻島といった最北端の地への派遣は、津軽藩の惨事からもわかるように大変危険を伴うものであったはずです。

しかし、驚くことにこの派遣は、会津藩が内々に幕府に願い出て、それを幕府が認めたという事実があったのです。

北方警備は藩士の命を危険にさらすだけでなく、藩にとっても大変な出費を強いられる事業でした。

幕末当時、多くの藩は財政難にあえいでいましたが、会津藩もご多聞に漏れず、超財政難といった状況にあったのです。

北方警備派遣時の藩主・松平容衆。(写真:Wikipedia)

では、なぜ会津藩は自ら北方警備を願い出たのでしょうか。その答えは、会津という場所にありました。

会津は、奥羽の喉元に位置します。幕府は、会津藩をして奥羽諸藩の抑えとしたのです。そのため、会津藩はその武威を幕府にも諸藩にも示す必要があったわけです。

北方警備を成功裏に成し遂げること、そして万が一ロシアと戦闘状態になったとしても、それに打ち勝つことが、会津藩の宿命であったのです。

【後編】に続く……。

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