武士も天下も興味はないが…心ならずも領民のために闘った戦国武将・三木国綱【下】 (3/7ページ)

Japaaan

ここまで基盤を固めれば、後は織田政権の跡目争いが収まるのを待って、本領安堵と引き換えに織田の後継者へ臣従すればよかろう……頼綱は家督を嫡男の姉小路秀綱(ひでつな。大和守)に譲って隠居。

織田家の跡目争い。小国政「大徳寺ノ焼香ニ秀吉諸将ヲ挫ク」

国綱は引き続き秀綱を補佐しながら飛騨国内の整備に当たっていましたが、織田政権の跡目争いに首を突っ込み、姉小路家は信長の三男・織田信孝(のぶたか)を推したため、信長の嫡孫・三法師(さんぽうし。織田秀信)を推す羽柴秀吉(はしば ひでよし)の軍勢に攻め込まれてしまいます。

「おのれ、飛騨一国を差し出すと言うても聞かぬか……ならば是非もなし、者ども、迎え撃つぞ!」

時に天正13年(1585年)、後世に言う「飛騨征伐」敵の大将は金森長近(かなもり ながちか)。かつて頼綱に滅ぼされた敵対勢力の残党(飛騨牢人衆)を先鋒に押し立て、旧領を奪還せんと士気旺盛です。

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