壬生の狼たちの活動拠点!3回移転している「新選組」の屯所はどこにあった? (2/3ページ)
京都市内中京区に現存する新選組屯所・旧前川邸(内部は非公開)
八木邸と前川邸は現存しており、八木邸は内部公開がされている。新選組が寝泊まりしていた当時から変わらない屋敷には、芹沢鴨暗殺の夜についた刀傷や芹沢が躓いた机などが残されており、まるで幕末から時が止まったような感覚に陥る。
大砲を撃ち鳴らし、養豚まで行った西本願寺屯所姫路市の亀山本徳寺に移築された北集会所(Wikipediaより)
新選組は壬生を約2年間屯所としたが絶頂期に入り、隊士募集を行うと更に手狭になり、元治2年(1865)の春に西本願寺へ移転した。移転先が西本願寺となったのは、勤王派を援助していた同寺を内部から監視するためだったとされている。
新選組が屯所として利用していたのは、境内の北集会所と太鼓楼。北集会所は300畳もの広さがあったため、小部屋をたくさん造ったほか、本堂との間に竹矢来を組んで牢屋や処刑場まで建てた。