壬生の狼たちの活動拠点!3回移転している「新選組」の屯所はどこにあった? (3/3ページ)
さらには、砲術訓練で大砲をぶっ放したり、医師の松本良順に豚肉や鶏肉を食べることを勧められたことから、豚まで飼い始めたりとやりたい放題。
結局、西本願寺側から境内からの立ち退きを条件に屯所の新築費が支払われ、2年で移転し(追い出され)た。
北集会所は明治6年(1873)に姫路市の亀山本徳寺に移築されたが、隊士がつけたとされる刀傷など建物自体はそのままに残されている。
最大規模の広さを誇った幻の不動堂村屯所西本願寺から支払われた費用で不動堂村に新しく建てたのが、最後の屯所だった。広大な敷地内には正門・大広間・客間・幹部と平隊士の部屋・厩、剣道場・一度に30人ほどが入れるような大風呂・台所などが設けられ、まるで大名屋敷のようだったという。
この屯所の正確な場所は特定されておらず、不動堂村屯所を示す場所が現在複数ある。それ故にこの屯所は「幻の屯所」と言われている。
しかし、この屯所に移転した半年後の慶応3年(1867)12月に新選組は京の都を離れ、伏見奉へ移動。そして戊辰戦争の初戦となる鳥羽伏見の戦いが勃発する。
今日では漫画やゲームなど様々なコンテンツに登場する新選組は、それだけにどこか別次元の存在のようにも思えてしまう。
しかし、彼らが暮らしたかつて屯所だった地に足を運んでみると、ほんの150年とちょっと前に彼らは確かにそこにいたのだと実感することができる。
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