意外と文武両道だった?軟弱なイメージの今川氏真、実は剣術の心得もあった (3/3ページ)

Japaaan

今日のところは甘めにして、あと素振り千回と致しましょう」

「どこが甘めなんじゃあ~、ひぇぇ……」

この義真は生没年不詳であり、また今川流と鹿島新当流との関係も不明のため、ハッキリとは言えませんが、もしかしたら氏真と一緒に卜伝の指導を受けていたのかも知れませんね。

エピローグ

そんな文武両道?だった今川氏真ですが、優秀さが必ずしも成功に結びつかないのが、人間社会の不条理というもの。

能力はあっても人望には乏しかったようで、家臣の離反が相次ぐと共にかつての盟友・武田信玄(たけだ しんげん)の裏切りもあって国を追われることとなり、その後、同じく盟友であった北条(ほうじょう)氏やかつて臣下であった徳川家康(とくがわ いえやす)の庇護を受けて命脈を保つのでした。

「やれやれ……やっぱりワシは荒事より、雅びやかな生き方のが性に合うわい」

晩年の氏真は、江戸幕府を開いた家康の元をちょくちょく訪ねては昔話に花を咲かせた(愚痴を聞かせた?)そうですが、話題の中心は歌道に関することだったそうです。

『集外三十六歌仙』にその名を連ねる今川氏真。Wikipediaより。

家康としても、ろくすっぽ実戦経験もない生半可な剣術の心得など聞かされるより、まだ歌道の方が聞き甲斐もあったのでしょう。

とは言っても、あまりの長話にうんざりした家康は、江戸城から少し離れた品川に屋敷を与えたと言います。

「ワシも若い頃は、剣術など少しは嗜んだものじゃが……」

「はいはい……」

剣術の心得があったなんて、「公家かぶれ」キャラな氏真にしてはちょっと意外ですが、やっぱり氏真は氏真だったような気がしないでもありませんね。

※参考文献:
山田忠史ら編『武芸流派大事典』新人物往来社、1969年1月
笹間良彦『図説日本武道辞典』柏書房、2003年5月
戦国史研究会 編『論集 戦国大名今川氏』岩田書院、2020年5月

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