意外と文武両道だった?軟弱なイメージの今川氏真、実は剣術の心得もあった (1/3ページ)
弱肉強食の戦国時代、由緒正しき名門というだけでは生き残れず、多くの大名家が滅び去っていきました。
「負けに不思議の負けなし」とはよく言ったもので、負けるからには必ず原因があるものですが、それは往々にしてリーダーの資質、ここでは「大名が無能だったせいだ」と安直に片づけられてしまいがちです。
守護大名として駿河・遠江・三河の三ヶ国(現:静岡県東部~愛知県西部)を支配しながら、一代で失ってしまった今川氏真(いまがわ うじざね)は、桶狭間の合戦で「油断して」討ち取られてしまった「公家かぶれ」の父・今川義元(よしもと)ともども軟弱なイメージがついてしまっています。
「海道一の弓取り」と恐れられた名将・今川義元の雄姿。Wikipediaより。
近年の研究(と言うより、そもそもの記録など)から義元の名誉は回復されつつあるものの、御家を滅ぼして(大名としての地位を失って)しまった氏真については、どうしても「ボンクラ息子」のイメージが根強い印象です。
しかし、敗れた者が必ずしも無能だったとは限りません。今回は、そんな今川氏真の文武両道エピソードを紹介したいと思います。