「腐ったみかん」と呼ばれた女子高生が医学部合格 夢を叶えた医師が語る「変われた理由」(1) (4/4ページ)
病気で入院した母のお見舞いで久しぶりに顔を合わせるようになって、相手も私も変わっていったといいますか、この関係をどうにかしないといけない気がして、少しずついろいろな話をするようになったんです。
そうすることで少しずつ子ども時代に母がどんなことを考えていたのかがわかりはじめました。最後、亡くなる間際に「ごめんね」と言われたのですが、そこで母のことを許せた気がしていますし、感謝の気持ちが生まれました。
――お母さんも「こんなはずではなかったのに」という思いはあったのでしょうね。
風子:そう思います。私が小さい頃に母がつけていた記録があるのですが、それを見ると、すごくかわいがってもらっているんですよ。大きな期待をかけて大事に育ててくれていたんだなというのは感じます。今思えば、ですけどね。
――働きはじめて、仕事で評価されることで居場所を見つけることができたというお話がありましたが、そこから大学受験して医師になるのはさらなる一念発起が必要です。子どものころから医師に憧れていたと書かれていましたが、なぜその憧れを思い出したんですか?
風子:出産がきっかけでした。その時にお世話になった産科の女医さんが本当に格好よくて、「もし仮にこの先生のミスで自分が死んでも、絶対に恨まない」というくらい信頼できる方だったんです。その女医さんを見ていて、そういえば私も昔医者になりたかったんだよな、と。ただ、その時点ではとても大学受験ができるような学力ではなかったのですが。