瞑想だけでなく言葉をただひたすら唱えることでも無我は得られる (2/3ページ)

心に残る家族葬

禅が追究する「無」が完全な「0」であるのに対し、これらの対象は絶対的な「1」である。「1」以外の何もなければそれは「0」と同じである。

念仏なら頭の先から足の底まで「南無阿弥陀仏」に満たされることで「無我」と同じ次元に達する。ギリシャ正教に伝わる神秘思想「ヘシュカズム」には「イエスの祈り」と呼ばれる短い一節をひたすら唱え続けることで魂を浄化し、神と一体になる「神化」(テオーシス)を目指す瞑想法が実践されている。

病院で念仏を唱え続けていた筆者も非常に短い時間ながら「無我」の状態にいたのかもしれない。「無我」などというと何やら大仰な響きだが、ようするに意識が念仏で満たされて思考が停止していたのである。こうした「無我」の状態は、現代では意識の変容「変性意識状態」の一種であると解釈できる。

■マントラ瞑想という瞑想法

マントラ瞑想という瞑想法がある。決められた言葉(マントラ)を心の中で繰り返し唱えるもので、念仏や唱題の現代版といってよいだろう。中でもマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(1918〜2008)が創始したTM(超越)瞑想は世界的に普及している瞑想メソッドである。会員は指導者から独自のマントラを伝授され、ひたすら心で唱える。

瞑想家の宝彩有菜は世界中の100以上のマントラから開発した「Mマントラ」を推奨している。「オーン、ナーム、スバーハー」というこの言葉自体に意味はないが「AUM」(オーム)という発音が組み込んである。インドでは古代より聖なる音とされ「南無」やキリスト教の「アーメン」などにも同じ音が入っている。宝彩はマントラ自体には意味がない方が良いという。退屈なマントラを唱えることで様々な雑念が生まれその都度雑念を「後回し」にしてまたマントラに戻る。この作業を続けているうちに考える対象が何もなくなるとする。TM瞑想のマントラもそれ自体に意味は無いという。おそらく「AUM」のような音が組み込まれていると思われる。

■無意味な言葉か、あるいは言葉に意味をもたせるか

言葉に意味があるとその意味に囚われてしまう側面もあるだろう。言葉の意味は思考を誘うことになり無我になるのを妨げるからだ。メソッドとしての瞑想なら意味のない言葉を使用するのはベストかもしれない。

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