誕生日に遺体で見つかった太宰治 死に場所に選んだのは玉川上水 (2/4ページ)

心に残る家族葬

とはいえ、文芸評論家の奥野健男(1926〜1997)が述べているように、「いつの時代の人間にも共通する人間像の造型でありながら、また一方、人間の存在に迫る社会秩序の酷薄さが対蹠的に浮き彫りされている」ため、「社会秩序が人間に対し、もっとも暴力的である現代を象徴する作品」である「特殊な生涯を体験した太宰の、精神の芸術的自叙伝」の『人間失格』は確かに、底抜けの「明るさ」はないものの、例えば、現実に起こった戦争や闘病生活、学校や職場、家庭などでのいじめやハラスメントなどをにおける苦悩や悲惨さを書き記した、いわゆる「体験手記」「告発文」のような、思わず目を背けたくなる、読み続けることができない…といった陰鬱さは存在しない。といって、ままならない世の中を歪んで捉えることで自分の立ち位置を確保できた人ならではの「卑屈さ」「ひねくれ」「皮肉」「上から目線」「自己アピール」などといった、いわゆる今日的な慣用句で言うところの、「中二病」的な痛々しさもない。言うまでもなく、「明るくはない」のだが、「暗くもない」。むしろ多くの人に「わかりやすい」「つかみ取りやすい」喜怒哀楽の情感が文全体に流れていないことから、それが逆に奥野が言う、「社会秩序の酷薄さ」そのものなのだ。まさに太宰は、言葉通りの「文豪」ということが、この作品においても、明らかになっている。

■太宰治が惹かれる理由

こうしたことから、先に紹介した弔辞に関する描写も、決して、「本当は悲しくも何ともないくせに!」「体裁だけ!」などという、他者への「攻撃」や「憎しみ」が内包されたものではなく、または「悪ぶる」「粋がる」といった、自分をよく見せようとするだとか、その反対に、自分をとことんまで貶めるなど、「自分」とは違う「自分」になろう、または他人からそう思われよう、見られようと目指すこと。しかもそれが読者に見透かされてしまうような浅はかさ…といった、「文学者」イコール「繊細」、時に「普通の人」よりも「奇矯さ」を有する傾向があるという、世間一般の常識を裏づける、「感情」「心の動き」が全くない。かといって「ロボット的」、「無感情」というわけでもなく、唯一無二の「太宰治」らしさに満ちあふれているのだ。

「誕生日に遺体で見つかった太宰治 死に場所に選んだのは玉川上水」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る