誕生日に遺体で見つかった太宰治 死に場所に選んだのは玉川上水 (1/4ページ)

心に残る家族葬

誕生日に遺体で見つかった太宰治 死に場所に選んだのは玉川上水

毎年6月19日は、昭和23(1948年)に玉川上水で愛人と心中した作家・太宰治(1909〜1948)の遺体が発見された日でもあり、誕生日でもあることから、東京都三鷹市の禅林寺(ぜんりんじ)で「桜桃(おうとう)忌」が営まれるのが恒例となっている。令和の今もなお、世代を超えた多くのファンが集い、39歳の若さで命を絶った太宰を偲んで祈りを捧げている。

■人間失格で記された太宰治にとっての葬儀


その太宰が残した、最後の「完成作」である『人間失格』(1948年)に、葬儀にまつわる記述がある。

『ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。』

自身の誕生日が迫った13日深夜、または14日未明に絶命した太宰に対して、文芸評論家の亀井勝一郎(1907〜1966)は、「作家の死の真因は常にその作品であります。制作に於ける君の真摯にして自虐的なる態度が君の死を招いたのでありましょう。君にとって制作する事とは滅びの支度であり実生活の犠牲においてのみ可能な事でありました。君は明確なる自覚において事を成就したのであります。肉体は滅びて君の作品は永遠の命を得たのであります」と6月21日に営まれた告別式において、弔辞を読んでいた。果たして亀井勝一郎は太宰が書き記したように、太宰のことを「わからない」、「まるっきり間違って見て」いたのだろうか。

■太宰治の評伝や文芸批評

いわゆる「太宰治」の評伝や文芸批評・研究は、彼が残した様々な作品が、いかに多くの人々の心を引きつけてきたかに比例する格好で、大量に存在する。それゆえに、「解き明かされている」部分もあれば、「人それぞれ」の解釈がなされている場合もあることから、結局は、「太宰治本人に聞かないとわからない」或いは、「太宰治本人にもわからないだろう」でしかない。

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