誕生日に遺体で見つかった太宰治 死に場所に選んだのは玉川上水 (3/4ページ)

心に残る家族葬

まさに、「自分には、人間の生活というものが、見当つかない」にもかかわらず、「自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた」。しかしそれを周囲のせいにせず、ひたすら自責的であり、かといってそれを他人に悟られないように終生「道化」を演じてきた太宰だったからこそ、タイトルの段階で既に重苦しい『人間失格』という作品が、「暗過ぎて、最悪!」「自分に酔いしれてる!」「暑苦しい!」などと当時から、そして今日でも、読者にそっぽを向かれることもなく、活字が頭に「入ってくる」、心に「染み渡ってくる」のである。

■太宰治が選んだ死に場所(玉川上水)の今


玉川上水脇の、太宰が発見された場所に「玉鹿石(ぎょっかせき)」の小さな石碑が置かれている。この石は、太宰の出身地・青森県北津軽郡金木町(かなぎまち、現・五所川原(ごしょがわら)市)名産の石だという。

『自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。』

『人間失格』における幼少期の主人公・大庭葉蔵の描写である。ここに「太宰治」らしさ、或いは「本性」が描き出されていたとしたなら、生まれ故郷を象徴する石が自分の「死に場所」に、さながら道しるべのように残されていることを、太宰はどう思うだろうか。気の利いた面白いことを言って、とても喜びそうな太宰が想像できる。だが、死んでからはせめて、「おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗ながしてのサーヴィス」を行うことなく、太宰そのものの「本性」をもって、言いたいことを言って欲しい。

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