領地を没収され、横暴な新領主に抵抗した戦国武将・君ヶ袋兼継の挙兵 (2/4ページ)
菊池容斎『前賢故実』より
君ヶ袋氏の祖先はかつて鎌倉幕府に仕えた御家人・千葉介常胤(ちばのすけ つねたね)と言われ、その名残が父や弟の名前にうかがえます。
君ヶ袋とはずいぶん変わった名字(名地)ですが、その由来には諸説あり、袋とは袋小路すなわち奥まった土地を表わし、祖先が沼地に黍(きび)を植えたことから、いつしか沼ヶ袋から黍ヶ袋、それが訛って君ヶ袋となったそうです。
兼継の通称は九郎左衛門(くろうざゑもん)、後に主君・大崎(おおさき)氏から掃部(かもん)の官途(かんど。官位の私称)を許されたと言いますから、忠勤により相応の功労があったのでしょう。
領地を没収され、新領主の横暴に耐えかねて挙兵さて、そんな君ヶ袋家は戦国時代末期の天正18年(1590年)、天下人となった豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)によって領地を没収(改易)されてしまいます。
その理由は「小田原の北条(ほうじょう)攻めに参加しなかったから」というものですが、兼継の主君・大崎氏はかねてより伊達(だて)氏に従属していたため、秀吉に味方したくても、独自に軍勢を出せなかったのです。