十五夜も十三夜も正月もサトイモ!日本では古くから神聖な食材とされてきた「里芋」の歴史 (3/4ページ)
江戸時代末期の『東都歳時記』では十五夜について「看月(つきみ)、諸所賑へり。家々団子、造酒(みき)、すすきの花等月に供す。清光くまなきにうかれ、船を浮べて月見をなす輩多し」とあり、「中古迄は麻布六本木芋洗坂に青物屋ありて、八月十五夜の前に市(いち)立て、芋を商ふ事おびただしかりし故、芋あらひ坂とよびけるなり」ともあり、天保以前は団子ではなくイモを使っていたことが分かります。
また、同じく江戸時代末期の『守貞漫稿』では、京都・大阪の十五夜について、団子はサトイモの形に作って醤油煮にし、砂糖を加えたきな粉を衣にして三方に十二個ずつ、閏年には十三個ずつ盛って供える、と説明しています。
いわゆる「お月見団子」は、もともとはイモだったのです。
団子をわざわざ小芋の形にするのは、それだけサトイモが重要な食べ物とみられていた証拠でしょう。
お月見団子にとどまらず、お正月に食べるお雑煮でもサトイモは使われていました。元禄時代に記された『本朝食鑑』では、雑煮には必ずといってよいほど、餅といっしょに里イモが入るという記述があります。
また、お正月に餅を食べずに、サトイモだけで新年を迎える地域は今もあるようです。
お正月に食べる食べ物は、神様の神聖な力を得るための重要な「神饌」でもあります。サトイモもまた、他の縁起物のお正月料理と同様に神聖な食物だったのです。
栄養食としてのサトイモ、その健康効果さてそれでは、サトイモはどうしてここまで神聖視されたのでしょう。
もちろん、古代の人々にとっては育てやすい、貴重な食料だったというシンプルな理由もあると思います。
しかし、サトイモの栄養価も見逃せません。
