明治時代の報道被害?「伊勢神宮不敬事件」で暗殺された森有礼のエピソード (3/4ページ)
「……文部大臣・森有礼に違いない!」
森はかねがね「日本語を廃止して英語を公用語としよう」などと主張するほどの西洋かぶれであり、日本の伝統文化を劣ったものとして毛嫌いする傾向があったため、日本文化の精髄とも言える伊勢の神宮など、唾棄すべきものとばかり軽侮していたことでしょう。
「今こそ国賊・森有礼を討つべし!」
「あの幽霊(※)を、今こそ成仏させるべきだ!」
(※)有礼を音読みして「ゆうれい」、また彼の政策や主張が日本国民の感覚と著しくかけ離れていたため、きっとこの世の者ではない幽霊なのだと揶揄されていました。
しかし、文部大臣ともなると警護も厳しく、討とうにもなかなか手が出せません。人々は怒りを堪えつつ、森有礼の首級を狙ったのでした。
森は犯人だったのか?そもそも事件はあったのか?そして明治22年(1887年)2月11日、森有礼は国粋主義者の西野文太郎(にしの ぶんたろう。当時25歳)によって暗殺されます。出刃包丁による刺突で出血多量の森は翌日に死亡、西野はその場で護衛に斬殺されました。